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EQの開発②方法論その19 EQ開発講座

2012.7.24

経営理念というよりは、もっと根本的な、生き方そのものを表明する社員一人一人が拠りどころとできるような言葉が欲しいと、

毎日真剣に考えていて、ある日突然閃いたのが、あの開善学校の建学精神だったのです。

思い立ったが吉日。すぐに開善学校に電話しました。

久しぶりに聞く、先生の声でした。

「今日はお願があって電話しました。この仕事を生涯懸けてやっていく事に腹を決めたので、

その第一歩として、まず経営理念を明確にしようと、今一生懸命考えているんですが、

その大前提として、生き方そのものをまず表明したいと考えまして、

そこで、どうしても開善学校の建学精神をお借りしたいと思いまして、失礼を顧みず電話させていただいた次第です。」

叱られるのを覚悟して、一気に要件を早口でまくし立てました。

少し間を置かれて、先生は全くいつもと変わらない口調で、こう言って下さったのです。

「田島さんね。人間が真面目に真剣に考えるとね、みんな似たような結論に行き当たるんですよ。

田島さんがそう思うんなら、どんどん使いなさい。

なんの問題もありませんよ。

だいたい、思想は個人には帰属しないんですよ。

田島さんがそう考えたら、それはもう田島さんの思想なんですよ。」

「ありがとうございます。でも先生、本当にいいんですか?

例えば、先生の先生。善さの教育を提唱された、慶応の村井実先生。

私の方から、何らかの形で、ご挨拶申し上げたほうが・・・・・」

「大丈夫。私がいいと言ってるんだから、それでいいんですよ。」

あっけない了承でした。

込み上げてくる嬉しさがありました。

しかしその後で何か引っかかる、重いものにも気づきました。

「田島さんがそう考えたら、それはもう田島さんの思想なんですよ。」

    人はみな善くなろうとしている

本当に自分はこの言葉の意味を理解してるといえるのか。

先生と出会って間もない頃、開善の教育って一言で言うとどんな教育なんですか?

難しい議論に入りかけた時、自分の浅学さを隠そうとする意志が働いての、一種の抵抗の現れとしての質問だったと思います。

私のこうした不躾な質問にもいつもと変わらない口調でちゃんと答えて下さるのが本吉先生でした。

「うーん。一言ね。絶対に見捨てない教育だね。」

「見捨てないって、教師が生徒を見捨てないということですよね。」

「そう。決して諦めない。逃げない。ってことですね」

そして先生は、村井実先生の本を読むことを薦めてくださいました。

講談社の教養文庫だったと思いますが、三・四冊読みました。

私にとっては実に難解でした。

以降、ペスタロッチ、ルソー、ソクラテス、シュタイナー・・・・・と

お会いする度に、実質、課題図書を指示されていました。

テストされた覚えはありませんが、本の中味を前提とした話題が出てくることが度々ありましたので、

山に登る日が近づくと、学生になったように、焦って読みまくったこともあります。

ほとんどが難解でした。

総じて、要はこんな事を言ってるんだろう、と言う段階でした。

そう思いを馳せると、自分の思想なんてとても言えないよな。

了解はとったけど、さて、本当に使っていいものかどうか?

思想を理解して同意するということは、その思想が、自分の体内に根を生やすようなものなんだという実感や、

理解できたと表明することは、根っこが生えたよって表明してるってことで、実に責任重大な社会的行為なんだということも、その時判りました。

「田島さんがそう考えたら、それはもう田島さんの思想なんですよ。」

大空のような広さを感じさせる、寛容さ溢れる言葉の響きの中に

こうした、実に厳しい責任を問いかける先生の思いがあったに違いありません。

結局、田島教育グループの建社精神は

人はみなより善くなろうとしている

と定めました。

何故、「より」を入れたのか。

自信と覚悟がまだ足りない証拠かな、と今思います。