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EQの開発⑤価値観・思想の強化-主体的に生きる-14 EQ開発講座

2013.2.24

前回お話ししたように、奇跡的とまでは言いませんが、下馬評を毎回覆すような選挙ばかりだったのです。

そもそも党の公認を得たり、それなりの後援者や後援団体を得るだけでもとても大変なことで、常人においそれとできることではありません。

ですから、どうしても彼の持つ強運を考えざるを得ないのです。

選挙に限らずとも、その強運を感じる場面は枚挙にいとまが無い感じです。

その時は大ピンチと見えることも、その後の展開で大きなチャンスに変わってゆくのです。

本当は私の知らないところで、苦悩から抜け出せない場面もあるのかもしれませんが、

私の知る限り、悲運・悪運と見えた事柄も、悉く、結果的には良好で、過程としての苦悩しかないように思えてしまうのです。

本人は、強運かもしれないが努力の結果だと言います。

そう言われると、その凄まじい努力を見て来ていますので、それ以上の反論はなかなか難しいのも事実です。

確か前回、早朝の駅頭演説の話をしましたが、似た話の紹介になってしまうかもしれませんが、凄まじい努力の例としてこんなこともありました。

衆議院議員になる前だったと思いますが、手のひらが痛いという話から始まったと思うのですが、

十二月に忘年会を二百回、一月に新年会二百回こなし、しかも会場に来てくれた人とは、全員握手するようにしている、と聞いて、

「俺にはバカバカしくてとてもできないな。おまえ、よくそんなことができるな。」と言うと、

「田島さん。修行ですよ。そう思わなければ僕も続かないでしょうね。国政に関わるということは、国民の命や財産を預かることにもなるんですよ。

そのための修行の一つだと思えば何てことないでしょ。」

正に求道者です。

もちろん、私は感動しました。

ガーンとやられました。

でも、特別な強運でないと説明がつかないのも事実なのです。

次回に続きます。