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EQのヒントⅠ-⑤ EQ開発講座

2012.1.24

一方で、暴力事件にも頻繁に顔を出す、何とも扱い辛い問題児になっていったのです。
それは、中学を卒業するまで続きました。
神経質などと誰からも思われたり、言われたりしないようにしようとする私の努力は豪胆を装う虚勢の日々を招いてきたのです。
それは苦痛の日々でした。
子供なりの修羅場に遭遇するたびに、否応なしに、自らの弱さに直面させられたからです。
臆する自分、すぐ逃げ道を確保しようとする自分、捨てきれない自分。
本当に豪胆なら演じる必要などないはずなのに、演じようとする自分がある。
豪胆を演じるというのは、自分は豪胆ではないと認めざるを得ないからであるとともに、 努力しても豪胆になれそうもないという確信を持ってしまったからです。
確かに凄い奴がいるのです。
単に鈍感なだけじゃないのかな、とも思いましたが、そう評価できない奴が何人もいたのです。
豪胆でありながら、人一倍思いやりもある、金太郎みたいな奴がいたのです。
しかもその差はどうしようもない、生まれつきの差のように感じられたのです。
人間は可能性に満ちていると本にも書いてあるし、先生も言う。
しかしどうにも変えようのない、心の芯みたいなものがあるらしい。
遺伝かどうかはわからないが、生涯変わらない心の元みたいな存在をその頃確信したのです。
同時に、クラブ活動に象徴される、肉体的な鍛錬によって心が強くなるとも感じられたし、
ものの見方考え方一つで、心が強くなったり弱くなったりすることもその頃気づきはじめていました。
以来ずっと、心の有り様に常に関心をもって生きてきたように思います。
今にして思うに、願わくば私のこの時代に、これから私が申し上げるような心の見方・鍛え方を教えてくれる人に出会えていたらなあと思います。
少なくとも、担任の先生や父の対応が少し違っていたら、その後の人生がかなり違うものになっていたような気がします。