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プロローグ3 EQとは? EQ開発講座

2014.5.5

情動に関する本格的な研究はまだ歴史も浅く、半世紀にも満たないようです。

心理を扱う研究者達は、なかなかつかみどころがない情動に関しては

科学的に真正面から扱うことを、敬遠してきたようなのです。

そんな状況を変えたのが、1983年に発表された、ハワード・ガードナー博士のMI理論だともいわれています。

MI理論というのは、Multiple Intelligences の略で、多重性知能論といわれています。

それまで、人間の持つ知能は、IQとして測定できるような、言語に関する能力や数学に代表される論理に関する能力だとされていたわけですが、

ガードナー博士はもっと広く捉えるべきだと主張されたのです。

上記の能力以外にも、音楽的能力や身体活動的能力や、また空間把握能力も別の能力として知能に加えるべきで、

さらに心内知能とも呼べる自らの心の状態を知る能力や対人関係知能とも呼べる、

良好なコミュニケーションを構築するのに不可欠な、他人の情動の変化をつかみとる能力も知能としてかぞえるべきだと主張されたわけです。

その後、最後に挙げた二つの知能をまとめて、人格知能と捉え直し、更に研究を進めたのが、

ピーター・サロベイ博士やジョン・メイヤー博士で、やがてお二人は共著で、以前紹介しましたが、

「 Emotinal Intelligence 」を発表されるわけです。

お二人共何回か来日されていますが、私は幸運にも、別々の機会ですが、

お二人に直接お会いしてお話を伺ったことがあります。

EQの可能性や人間の知能の可能性を、極めて積極的に語られる姿に感動したのを覚えています。

ピーター・サロベイ博士やジョン・メイヤー博士、そしてデビット・カルーソ博士の論文を読んで学習すると、

EQというのは、情動を的確に識別理解し、上手く活用してゆく知能だといえるようです。

現在では、その識別の方法・理解の方法や調整・管理の仕方から活用法まで

マトリクス的に整理された能力モデルまで提示されています。

ところで、ここで強く主張しておきたいことがあります。

それは、最初の方でも書きましたが、私は研究者ではなく、一学習者であるということです。

理論について話したり、理論を紹介したりすると、その理論の正当性について、不必要に拘泥する方が少なくありません。

私は学術論文も含めて、すべての知識や情報は、よりよく生きていく上での参考意見にしか過ぎないと思うのです。

研究者であるならば、自ら打ち立てた理論に人生を懸けるのも自然かもしれませんが、

そうでなければ、謙虚により広く学び、理論や情報に振り回されることなく、

そうした理論や情報を現実の人生をよりよく生き切るために役立たせることこそが大切だと思います。

さて、EQとは?に戻ります。

具体例をいくつか挙げましょう。

例えば、あなたが営業マンだとします。

これから非常に重要な大口案件の商談に臨まなくてはなりません。

先方の会社に着き、受付を済ませ、エレベーターに乗り、資料をすぐ

取り出せるようにと、バッグの中を点検した時です。

あなたは財布がないことに気が付きました。

先程食事したファミレスで支払を済ませる時に落としたか、どこかに置き忘れたか。

頭の中はパニック状態です。

こんな時、あなたならどうしますか?

通常私たちの大多数は、情動の嵐に立ち向かいます。

気持ちを切り替えようとします。

今慌ててもしょうがない。まず眼前の商談に集中しよう。

狼狽している様子が見えると、変な誤解を招きかねない。

落ち着け、落ち着け。

こうして興奮状態を瞬時に押しとどめ、続いて、こんなことで失敗

してたまるか、さあ頑張るぞー!と新な動機づけを行います。

しかし中には、その嵐の中で立ちつくし、悲嘆にくれてしまったり、

逃げ出してしまったりする人もいるかもしれません。

ここで現れる、情動の混乱をいち早く察知し、それを調整し、

新たに、その場に有益な情動を自ら作り出すという、

一連の能力が、EQの具体的な例と言えます。

以前、「情動に関する知能」と申し上げた面の一例と言えます。

さらに「情動の知能」といえる具体例としてはどんなものがあるでしょうか?

例えば、こんな場合です。

翌日に大事な企画発表を控えた夜。

論点整理も終え、パワーポイントも完成し、準備万端整ったはずなのに

なぜか不安な情動が消えない。不安というか、不快というか、晴れ晴れしない気分になってしまっている。

こんな時、よくよくもう一度点検してみると、企画を立ち上げた時に

前提となる場合分けの一つが、完全に抜け落ちてしまっていることに改めて気が付くというような場合です。

これに似たことは誰にも経験があると思いますが、こんな時、情動自体が、情報を発信しているのです。

正に情動を一つの知能と見做す好例と言えます。

ここまで読まれ方のほとんどは、こうお思いではないでしょうか?

なあーんだ。EQって言ったって、何も新しいことじゃないじゃないか。

そうなんです。

私達が毎日ごく普通に使っている、ごく普通の知能なのです。

お母さんやおばあちゃんに注意された心がけにも通じるものなのです。

私は三十歳の頃、城野宏先生に数年間直接指導を受けたことがある

のですが(その時のことも改めて触れたいと思っています)、始めに先生が問われた事の一つに、

「田島君、頭がいいというのはどういうことを指すのか説明しなさい」というのがあります。

勿論私は不合格になったのですが、先生の示された正解はこんなものでした。

「文章を早く正しく読みとり、時と場に適した正確で美しい文章を書き、

計算も早く、論理の理解や組み立ても素早く正確で、絵画や音楽をはじめ、

芸術や自然に対して、豊かに感じ味わうことができ、他人の痛みや苦しみや

悲しみに共感でき、勇気付けもでき、いざとなれば敢然と命がけで闘う覚悟も決められる丹力もある。

こういう状態を頭がいいというのだ。何となれば同じ一つの脳の働きだからだ。」

私はこうした教えに以前から接していたこともあってか、EQ理論には出合った時

から、非常に親しみを感じ、何ら特別な疑問も抱きませんでした。

そして、語学を学ぶ時の文法知識のように、EQ理論を活用することによって、

より早く、より的確に、心を鍛えるこができると、私は自らの経験に照らして確信したのです。

もちろん、EQを向上させることと、心を鍛えることが同じだなどと毛頭申し上げるつもりはありません。

しかし、こころが鍛えられていくことと、EQが向上していくことはかなり重なり合う部分が多いと思われるのです。

学校でも一般社会でも、心の仕組みや扱い方、延いてはその鍛え方など

ほとんど教えられていないのではないでしょうか?

ですからカリキュラムらしきものもありません。

そんな状況の中で、EQ理論はカリキュラムの主要な一部分を担えると思うのです。

ただし、何度も繰り返しますが、不遜な物言いに聞こえるかもしれませんが、

その正当性に必要以上に拘泥したり、理論に振り回されることは厳に注意すべきだと思っています。

そして、子供たちに教える前に、まずご自分で試してみることです。

私がこれからお話ししていく方法論は、全部、少なくとも私自身の経験上

何らかの効果があり、しかも子供たちへの指導に応用して、それなりの確率で成果の上がったものだけです。

試してみて何の損もないはずですし、人生は二度なし、ですから是非実際に活用してみて下さい。